THE EVOLUTION OF TADAO ANDO'S ARCHITECTURE
「安藤忠雄」~批判と称賛が表裏一体の建築家のルーツとは?
THE EVOLUTION OF
TADAO ANDO'S ARCHITECTURE
Introducing Photographs of Tadao Ando’s Architecture That Seem Unbelievably Diverse for One Architect
同じ一人の建築家がつくったとは思えないような安藤忠雄の建築の変遷を追って
「安藤忠雄」の代名詞は「闘う建築家」。
若いころにプロボクサーを目指していたことと建築家の思想、姿勢を掛け合わせた言葉ですが、建築家として闘い挑戦し続けている相手は「社会の凝り固まった古い常識」です。
これは、「建築」という分野だけではなく、アート(思想を表現するもの)としての建築を通じて社会へのメッセージを発することであり、人気が出て安藤作品が社会の目に触れることが増えれば増えるほど、アンチ安藤からの批判も増えることが必然の建築家と言えるでしょう。
つまり注目されなければ批判もされない、社会に影響を与えることもほぼゼロ、そういう意味では「批判されてナンボ」という人でもあるのです。
(とは言え、批判記事の中には「最悪」とかいう感情的形容詞(「悪い」でなく「最悪」)を平気で使う記事もあり、批判のための批判、つまりただの悪口のようなものが目立ちます。
そういう記事ほど、Googleの上位に出るので、本当に筋の通った批判記事を探すのは難しかったりしますが。一方で、最近の山本理顕さんの批判記事は「逃げずに説明しろ」と言っているだけで、悪口ではないですよね。)
その人間「安藤忠雄」の思想のルーツに触れてみるために、安藤作品のいくつかを、敢えてタイプの異なる作品をいくつかピックアップして年代順に並べてみるというフォトギャラリーを作ってみました。
(著作権の関係で、なかなか自由に選べないのが難点)
安藤忠雄が、20代で実際に、ル・コルビュジェのサヴォワ邸とロンシャンの礼拝堂へ行き、「あらゆるところから光が入ってくる礼拝堂の姿、肉感的な光の空間を見て、これをサヴォワ邸をつくった建築家と同じ建築家がつくったのか?年とともに変化することはわかるが、こうも変わるものか…と疑問を覚えた」と述べています。
そして、「ル・コルビュジェという建築家は最初も芸術から始まって、最後も芸術で終わる。その真ん中に社会とリンクする建築があったということだと思う。」と評しています。
(講談社書籍「安藤忠雄とその記憶」安藤忠雄著)より引用)
数十年にわたる安藤忠雄自身の建築も、こうして並べてみると「同じ建築家がつくったとは思えない」ような作品が存在します。
しかし、その根底には「ル・コルビュジェ」と同じように、建築の中に「社会とリンクする何か」を表現してきたという点で、形が違えど「安藤忠雄らしさ」というものが常に感じられる、それこそが批判される一方で世界でカリスマ的な名声を得た「TADAO ANDO」という建築家のルーツなのだろうと思いました。
ROW HOUSE IN SUMIYOSHI
住吉の長屋(1975年:大阪府住吉区)
今さら説明の必要が無い安藤忠雄の出世作。コンクリート打ち放しや光のスリット等はこのずっと続く定番のようなデザインですが、この住宅が常に話題に上ることは、雨が降ったら傘をさしてトイレに行く必要があるという中庭の構造。しかも、夏は暑く、冬は寒い。この家を発注し住み続けている施主にこそ賞をあげるべき、という声があるくらいです。
当初は「建築家の横暴だ」と散々批判されたそうですが、施主も納得の上であり完成後も数十年、住み続けておられるらしい。
「住みづらい」「住みやすい」という世間の常識への挑戦、アンチテーゼとしての衝撃の問題作であり、竣工から4年後に日本建築学会賞を受賞し、一躍脚光を浴びました。
今でもアンチ安藤派が安藤建築を批判する理由が「使いづらい」という一般常識で見た場合の「機能的な問題点」が殆どの理由ですが、そもそも、それらの機能が本当に必要なのか、それを捨てることで得られるものが、その機能が無いことよりも大事である時には果敢に切って捨てる、ということが、既にこの時からの安藤忠雄の思想の原点であり、それを貫く限り安藤作品への批判はけっして無くならないのです。
「問題はこの場所で生活を営むのに本当に大切なものは何なのか、一体住まうとはどういうことなのかという思想の問題だった。それに対し、私は自然の一部としてある生活こそが住まいの本質なのだという答えを出した。」(「建築家 安藤忠雄」新潮社より抜粋引用)
ROSE GARDEN
ローズガーデン(1976年:神戸市中央区)
安藤忠雄が商業施設として初めて手掛けたのがこのローズガーデンです。
正面から見た外観が、いわゆる定番の安藤忠雄デザインのコンクリート打ち放しとは異なるため、知らない人はこれが安藤忠雄の設計だとは思わないでしょう。
しかし、この頃の安藤建築には他にもいくつかレンガ壁の建築もあります。
しかし、裏に回ったり、内部を見ると、コンクリート打ち放しだったり、直線と曲線の組み合わせだったり、といった安藤デザインの定番を見ることができます。
また、壁がレンガになっているところも、自立した板のような構成が多く、CGで赤いレンガをコンクリート打ち放しに変えたとしたら、安藤忠雄作品として殆ど違和感なくなる気がします。
但し、外観には曲線のアーチ部分やブリッジによるアートっぽい造形が無い点が他の作品とは異なる部分です。
JUN PORT ISLAND BUILDING
ジュン・ポートアイランドビル(1985年:神戸市中央区)
ローズガーデンから10年ほどたったこの頃は、既に安藤建築の定番の要素をふんだんに盛り込んでおり「安藤忠雄らしい建物」です。
また、この頃は、バブル経済の上昇期に向かっていますので、おそらく建築費も相当な予算をかけることができたころだと思いますが、このJUNポートアイランドビルも相当なぜいたくな造りです。
何といっても広大な敷地で4階建てという低層建築で、とてもスケールの大きい建物ですが、今の時代だとこういう贅沢な建物はもう作れない貴重な建築という気がします。
詳細は「ジュン・ポートアイランドビル~四方から見れる安藤忠雄」のブログページにて。
LA COLLEZIONE
ラ・コレッツィオーネ(1989年:港区南青山)
JUNポートアイランドビルの4年後の1989年に竣工した東京の南青山にある商業施設。部分部分のパーツデザインは「ジュン・ポートアイランド」の商業施設版、ともいえるような兄弟姉妹的な建物。
そして、JUN以降の数年は、教会3部作を手がけていた時期と重なり、この1989年は最後の「光の教会」の竣工年と同じ、という建物です。
敷地面積は、さすがに南青山とあって、JUNほど広くないのですが、総面積が同じくらいあるので不思議に思われるかもですが、こちらは地下3階まであり、上下で7階建ての建物。
用途的にも全て商業施設のため、区画を割りながら複雑な迷宮のような面白さを感じる物件で、スケール感はJUNほどではありませんが、地下3階まであるドライエリアから上を見上げた時には、かなりの迫力があると同時に、同じ「ANDO」建築の基本デザインの組み合わせで、多様な立地と用途に適応させている巧みさを見ることができました。
THE CHURCH OF THE LIGHT
光の教会(1989年:大阪府茨木市)
こちらは~「TADAO ANDO」その人が見えてくる~十字架のない「光の教会」のルーツとは?というブログをご覧ください。
HYOGO PREFECTURAL MUSEUM OF ART
兵庫県立美術館(2001年:神戸市中央区)
こちらは「兵庫県立美術館を無料で見学」というブログと「兵庫県立美術館の撮影スポット」というフォトギャラリーをご覧ください
OMOTE SANDO HILLS
表参道ヒルズ(2006年:渋谷区神宮前)
表参道の商業ビルらしい造りで表側は全面ガラス張りなので、一見すると、安藤忠雄っぽくない感じがしますが、サイドから裏側に回ると、コンクリート打ち放しの壁がドーンと出てきます。
サイドのビル名ロゴの左を見ると、ちゃんと安藤印のスリットもありました。
ただ、外観はカクカクとしたシャープな形状で、いつもの半円ドームやコンクリートのブリッジは出てきません。
こういうガラス張りのシンプルモダンな商業ビルは今どきそう珍しくもないのですが、しかし、それだけでは終わっていない「捻りが効いている」のがさすがの安藤建築です。
実は、入り口正面付近から見上げたところに、まるで「脱構築主義」かと思うような箱がねじれたような個所があります。従来の定番の安藤デザインなら、例によって半円のドームとコンクリートのブリッジで囲った大きな開口部が作られたのかもしれませんが、ここでは上層階の箱がずれて飛び出し低層の部分は不規則な角度で組み合わさっています。
神戸のメリケンパークにあるフィッシュダンスを脱構築主義の世界的建築家のフランクゲーリーとのコラボで監修したのが1987年ですが、この頃の安藤作品は、ジュンポートアイランドビルのような「□と〇とブリッジ」の組み合わせのスタイルを多用していました。
その時代から約20年を経て、いつの間にか脱構築主義的デザインを独自の「ANDO STYE」に変換したかのように新しい造形を生み出しています。
もちろん、冒頭に書いた通り定番の「ANDO STYLE」も健在で、従来からのデザインと新しいものの組み合わせ方の巧みさが時代とともに変遷していく安藤建築の面白さかもしれません。
FUKUTAKE HALL
東大・情報学環 福武ホール(2008年:文京区本郷)
この建物では、コンクリートの巨大で長い板が建物の前に立ちはだかり「考える壁」と名付けられています。
いつもの安藤忠雄の「自立する壁」がこれだけドーンと長く全てを隠すように建物前面に存在する建物は初めてでしょう。さらに、定番のスリットが、縦ではなく視線の高さで横に入っています。
ジュンポートアイランドビルとかと違うのは、外観において福武ホールは直線だけで構成されていて、丸い半円のドームとかは出てこないところが表参道ヒルズと同じです。
一方、こういう代表作には必ずアンチ記事があるのですが、批判記事は実は少ししかないので、Googleの検索ではそれがトップ表示。その記事に、大多数の東大生が雨の時にひどいとかの批判をしているがごとくに書いてあるので、単純にこの記事だけ読むと、東大生は皆批判的と感じてしまう内容です。
そんなにこの建物が気に入らない東大生が殆どなら、また解体費を寄付してもらって、きれいさっぱりぶっ壊してしまえばいいと思うのですが、私は天邪鬼で批判が強烈な物件ほど見たくなる性分なので、実際に見に行ってきました。
まず、写真でみていたよりかなりのスケール感があり迫力があります。
地下には側溝があって地面も傾斜があり、実際に守衛さんや東大生に聞いても、地下に水が溜まったような話は聞いたことがない、とのこと。
地下とは言え、屋外に屋根の庇を延ばしたような空間であって、雨がドシャぶりの日に水が滝のように落ちるのは、屋根が無くても今どきは同じでしょう。
そして、この切って捨てた影(実用性、機能性)によって光り輝くものが何なのかを実体験できました。
この建物が「影」を作って輝かせたものは、建物背後の道路側にあるけやき並木です。
晴れた日の景観は見事なくらいに美しく、まさに「光(長所=機能を超えたところにある感動)と影(短所=機能)」の光が最大限に輝いていました。
「お前のように、たまにきて観光して帰るだけのやつに普段使いの苦労の何がわかる」とアンチの皆様からお𠮟りを受けるのは目に見えている感想ですみません。
残念ながら「人間はパンだけでは生きることはできない」という宗教的テーゼを追い求めているのが安藤建築だとして、この国には、その光の部分を全くありがたがらない人たちが大勢いるのも事実でしょう。
そういう社会だからこそ、挑戦し続けるのが安藤忠雄なのでしょうが、そんな安藤センセイでも、「この国の大人たちはもうアカン」と思われたのか、最近は「こども本の森」プロジェクトに力をいれておられます。
こどものうちから「人としての教養」をしっかり身につけて「人間はパンだけでは生きられない存在である」という言葉の意味を理解できる大人に育ってほしい、という思いなのでしょう。
でも、東大生の人には最後の希望として「考える壁」を贈ったのだと思いますが…全然ありがたがらない東大生だって、そりゃいますよね。人の価値観は多様ですから。
AMAYADORI
神宮通り公園公衆トイレ(2020年:渋谷区神宮前)
最近の安藤作品の中で最も驚いたのがこれです。雨宿りができるようなトイレを目指した、とのことでその名も「雨宿り」だそうです。
ご存じのように、渋谷区が展開する「The Tokyo Toilet」のシリーズの一つで、宮下パークの先にある公園内の公衆トイレですが、言われなければ、これが安藤忠雄の設計だとは全くわかりません。
むしろ、ワンダーウォールの片山正通さんの方が、コンクリートの板で構成されていて、こちらの方が安藤忠雄っぽい感じ。でも、すべすべコンクリートでなく、片山さんらしい「杉板本実型枠工法」による木目調のコンクリートです。(この工法はワンダーウォールの事務所の外観でも使ってます。)
「住吉の長屋」から45年、ついにコルビュジェの「サヴォワ邸」と「ロンシャンの礼拝堂」が如くに「同じ一人の建築家がつくったとは思えない」ような建物を手がけられていると感じた物件でした。
休日ということもあってか、ひっきりなしに利用者が訪れて、シャッターチャンスを待つのも一苦労。使いづらいとかのクレームも特になさそうな感じの大人気ぶりでしたが、まあトイレですから用を足せれば特に文句は出ないでしょう。
しかし「ここがあの安藤トイレか」、という感じでスマホを向けるような人は多くの外国人も含めてほぼゼロ、普通は公衆トイレなんか写真にとりませんから、私はかなりの変人っぽく見られたかもです。
BOURSE DE COMMERCE
ブルス・ドゥ・コメルス改修(2021年:フランス、パリ)
最後はフランスの美術館「ブルス・ドゥ・コスメ」です。こちらは外観を見ればお判りの通り、建物全体が安藤建築という訳ではありません。
改修プロジェクトには安藤忠雄以外にも関わっており、安藤忠雄が世界の人たちとチームで取り組んだ事例です。
以下、CASA BRUTUSのサイトより引用
https://casabrutus.com/categories/architecture/188376
「私のミッションは、歴史的建造物に指定されているこの建物を直に介入することなく、美術館に変貌させることでした。同心円の構成をとり、新しいものと古いものとの間に活発な対話を成立させ、現代アートのための生命力に満ちた空間をつくる。過去・現在・未来の時間の糸をつなぎ、芸術とも対話する空間を作りたいと考えました」
フランスでの安藤忠雄は非常に高い評価を受けており、こういう代表的な歴史的建造物の改修プロジェクトでも声がかかるほどの名声があるんですね。
このピノー・コレクションの美術館の公式サイトでも、安藤忠雄や他の関与者のチーム紹介ページもありますが、ピノーという世界的アートコレクターが安藤忠雄に心酔していることがよくわかります。
何かにつけて「建物はアートじゃない」「建物にアート性なんて不要」、「コンクリート打ち放しをありがたがるなんて、どこがいいんだか到底気持ちがわからない」等などの批判が溢れる日本のネットの状況を見るにつけ、アートへの造詣が深いヨーロッパとの根本的な民族性の違いを見る気がします。
しかし、こういうヨーロッパの芸術家に大きな影響を与えたのも、同じ日本人の浮世絵師だったっり、世界で最も多いプリツカー賞受賞者を輩出しているのも日本ですし、全くもって不思議な国ですね、我がニッポン。安藤センセイは、ずっと、「このままじゃアカンよ、ニッポンは」と言い続けておられますが。
安藤忠雄(TADAO ANDO)の略歴と年表
1941年大阪生まれ。代表作に「光の教会」「ピューリッツァー美術館」「地中美術館」などがある。
世界ではカリスマ的人気を誇り、U2のボノ、ジョルジオ・アルマーニ、ダミアン・ハーストなどとも親交があるのは有名。
しかし、ご本人はどこでも誰とでも、関西弁だけとのことで、生粋の関西人。
そういう経緯で関西や兵庫、神戸には安藤建築が多いが、今では東京はもちろん、世界中に安藤作品が多数存在し、ついには2023年、米国マリブビーチの住宅をビヨンセ夫妻が284億円で購入したとの驚きのニュースも流れた。
(事務所設立までの経緯)
10代後半、建築家に憧れて通信教育を受けたりデッサン教室に通いながら、日本全国の名建築行脚を行う。
そのころ、双子の弟がプロボクサーとなり外国に行けると聞き、自身もプロボクサーとなり初めて海外のバンコクに遠征を果たすも、限界を感じて2年程度で廃業。その後、20代で世界を一人旅、コルビュジェに会いに行くも既に他界していた。
その後、20代後半で安藤忠雄建築研究所を設立するも、仕事が殆ど無くコンペに挑み続ける。
(年表)
1973年:コンクリート打ち放しの第一作目となる富島邸(現在の自身の事務所である「大淀のアトリエ」)を手がける。
1975年:「住吉の長屋」が竣工
1976年:第2回神戸市建築文化賞受賞、初の商業施設「ローズガーデン」竣工
1979年:「住吉の長屋」が日本建築学会賞を受賞し、一躍、脚光を浴びる。
1981年:まだあまり知られていなかった安藤忠雄の才能に注目したデザイナーのコシノヒロコが自邸を発注。小篠邸が竣工。
1983年:立地的な短所を長所に転換した「六甲の集合住宅Ⅰ」が竣工
1984年:沖縄の那覇で「フェスティバル」竣工
1985年:「ジュン・ポートアイランドビル」竣工。この頃、事務所に迷い込んだ犬に「コルビュジェ」と名付ける。
1986年:「風の教会(六甲の教会)」竣工
1988年:「水の教会」竣工
1989年:ポートアイランドの「旧モロゾフP&Pスタジオ(現ブライダルハートビル)」竣工
1989年:「光の教会」竣工、今でも代表作として話題になる。
1993年:初の海外作品、ヴィトラ・セミナーハウス竣工、パリで個展開催、高い評価を受ける。
1995年:プリツカー賞受賞、阪神淡路大震災の復興支援員委員会の委員長に就任し、復興に尽力
2004年:直島に「地中美術館」竣工
2000年代~国内では表参道ヒルズ等、海外でも有名作品等を多数手がけ「世界のANDO」として活躍
2021年:パリの「ブルス・ドゥ・コメルス」竣工
2023年:マリブビーチの安藤忠雄の住宅を約284億円でビヨンセ・ジェイZ夫妻が購入し話題に。
(主な受賞歴等)
1979年「住吉の長屋」で日本建築学会賞、1993年日本芸術院賞、1995年プリツカー賞、2003年文化功労者、2005年国際建築家連(UIA) ゴールドメダル、2010年ジョン・F・ケネディーセンター芸術金賞、後藤新平賞、文化勲章、2013年フランス芸術文化勲章(コマンドゥール)、2015年イタリアの星勲章グランデ・ウフィチャ―レ章、2016年イサム・ノグチ賞など受賞多数。
イェール、コロンビア、ハーバード大学の客員教授歴任。1997年から東京大学教授、現在、名誉教授。
安藤忠雄建築研究所
http://www.tadao-ando.com/
もっと網羅した作品・計画年表はこちらが詳しいです。
安東忠雄 TADAO ANDO-WORKS:作品計画案年表
http://kstyle.s57.xrea.com/tadao_ando/works/
上記の記載内容や当サイトにおける情報は文献やネット情報をもとに記載していますが、その全ての正確性を保証するものではありませんので、ご了承下さい。
変わり続けながら
変わらないものにこだわり
「闘い続ける建築家」…それが
TADAO ANDO
時代とともに周辺環境も、建物に求めらるものも変わっていくのが時の流れの宿命です。
しかし人として普遍的に求めるものもあります。
それを追求して闘い、挑戦し続ける建築家、それが安藤忠雄なのではないでしょうか。