CHURCH OF THE LIGHT|ROOTS OF TADAO ANDO

~「TADAO ANDO」その人が見えてくる~

十字架のない「光の教会」のルーツとは?

教会3部作以前の1985年に竣工した「ジュン・ポートアイランドビル」に教会三部作に共通するアイコン的要素を見出したことから、安藤忠雄の代表作「光の教会」のルーツを探ってみました。その結果、見えてきたのは「TADAO ANDO」その人の建築思想のルーツそのものでした。

兵庫県立美術館の「ANDO GALLERY」にある「光の教会」の模型

安藤忠雄の最も有名な作品の一つが世界で唯一、十字架が無い教会と言われている「光の教会」です。
逆に十字架に見える壁が強烈なイメージで、あまりに有名な作品ですので、ここで詳しい解説は割愛しますが、よく知られた話は、建築当時にこの十字のスリットに安藤忠雄センセイは、ガラスも入れずに吹き抜けるものをご提案されたそうです。
さすがに施主さんが「それはちょっと…」と言われて、ガラスをいれたそうですが。
さすが、使い勝手なんかよりアートな感性を優先させる「TADAO ANDO」らしい逸話ですね。

世界的に引っ張りだこの人気の一方で、国内建築業界やネットではアンチも多いと言われる賛否両論の激しい方ですが、頑固オヤジなようでちゃんと施主さんが拒否すれば、「じゃあワシは降りる」とか言わずに、柔軟に言うこと聞いてくれるんだな、と思いましたが…

実は、その後もいろんなところで「あそこにはガラスが無い方がいい」と言い続けていて、ついに、教会完成から28年後の2017年に、国立新美術館で開催された大規模な個展において、なんと実物大の模型、というか実物とほぼ同じ、違うのは、スリットにガラスが無いという、映画でいえば「ディレクターズカット」の本来の「光の教会」を展示したのでした。(やっぱり頑固オヤジだったんですね、安藤センセイは。)

六本木の個展で造られた1/1の模型というか、スリットにガラスが無い本来の「光の教会」を外側から見たところ

「TADAO ANDO」は「火中の栗」も拾いがち

まあ、そういう柔軟なんだか頑固なんだかよくわからない、その両面を持ち合わせておられるからでしょうが、そんなスタンスが逆に批判の的になるような事例、例えば、オリンピック国立競技場のコンペ選考で、ご自身の建築デザインとは全く異なるスタイルのザハ案を採択したり、大阪マルビルの緑化偽装問題の批判の矢面に立たされたり、自費で寄付して建てた「こども本の森」なのに批判されたり、といったことにもつながっているのかもですが。

オリンピックの国立競技場の責任問題についての「ザハ、安藤が悪い」というご批判に対しても、個人的には、おそらくこういうご意見(本当の問題は別のところにある)の方が事実に近いのではないかと思います。ザハ案以外の競合案も実際にやったら予算オーバーになってたらしい、という話もありますし、たぶん誰がやっていても、おそらくロクな結果にはならなかったのでは?

この審査委員長なんてポスト、後から思えば「火中の栗」みたいなものでも、「よっしゃ」みたいに?お引き受けになるところがある方ですが、ここではとんでもない貧乏くじだったってことでしょうね。
https://www.huffingtonpost.jp/daichi-ito/new-national-stadium_b_7885504.html

しかし、こういうところも「安藤忠雄」の安藤忠雄たる所以であり、震災復興支援委員会の委員長を引き受けたり、「こども本の森」を自費で寄付して建てたり、といった社会とリンクする活動も、このブログの最後にたどり着いた「TADAO ANDO」という建築家のルーツそのものと深い関わりがあったのだとわかりました。
きっとこれからも、貧乏くじかもしれない「火中の栗」のようなことでも、お元気な限り、どんどんやって行かれるような気がします。

「こども本の森 神戸」

「光の教会」の見学が全面停止中の理由

実は、この「光の教会」は正式には「日本基督教会の茨木春日丘教会」の礼拝堂です。

教会の公式サイトをみてみると2024年5月現在、見学を全面停止中。もともとは、コロナ禍で2020年に見学を停止されたようですが、現在のHPを見ると、赤字運営で信者の方のボランティアで支えられており、しかも運営されている方々が後期高齢者で、お亡くなりになる方もおられて、見学対応が困難とのこと。
https://ibaraki-kasugaoka-church.jp/j-top.html

見学対応もはたから見るほど容易なものではなく、見学者が近隣にご迷惑をかける事例や盗難、破損、侵入などのトラブルもあるようで、見学対応業務の体力の限界を超えた、との記載。

こんなことになっていたとはつゆ知らず、世界的に人気の礼拝堂で、それなりのメリットを得られているのかな、なんて思ってましたが、本当にご苦労が絶えず、大変なご様子。

アンチ安藤の方がこういうことを知ると、また「そら見たことか、安藤建築なんてロクなもんじゃない」と溜飲を下げるのかもしれませんが、この世の物事には常に「光と影」があるのであり、「光があるから影ができる」ということを受け入れられている信者の方々の想いはきっと、このような批判とは別のところにあるものと思います。

ここで礼拝をされている方々は、きっと「光と影」の存在するこの世界で、その哲学的な意味を常に考え続けておられることでしょう。

光があるから影ができる、どんな暗闇にも光が差し込む、いろんなことを考えさせてくれる空間。これは美術展の実寸模型。

コンクリート壁のスリットデザインは既に多用されていた

コンクリート壁のスリットで光を取り入れるデザインは、どの建物が最初だったのかそこまで調べていませんが「光の教会」の4年前に竣工している「JUNポートアイランドビル」等をみても、この「光のスリット」が採用されていました。

しかし、最初は良く分からなかったのですが、遡ってみると、安藤忠雄の出世作になった「住吉の長屋」で既に取り入れられています。実物では外からは良く分かりませんが、実物をほぼそのまま、今度は美術館ではなく、実際に別の場所に再度作ってしまったという「住吉の長屋2」は建物の側面も外部から見ることができる写真があり、そこには1本のスリットが見えています。

旧モロゾフP&Pスタジオ(現ブライダルハート)のビルにもスリットが入っています。

「教会三部作」のアイデアのルーツは?

光の教会の壁のスリットが、既に他の建物においても多用されていた手法であることは、ジュン・ポートアイランドビルや旧モロゾフのビルをみただけでもわかりましたが、それだけでは特段、教会シリーズのアイデアのルーツがどこにあるのかわかりません。
そこで、「教会三部作」の残りの2つについても見てみました。

まずは、教会三部作の第二作目の「水の教会」です。
「水の教会」の一番有名な撮影スポットはこちらの水面に静かに佇む鉄の十字架です。
これはもはや建築物、というよりも、建築物に付随するモニュメントなのですが、光の教会と違って、こちらはちゃんと十字架を作った、ということですね。

教会三部作の第2作「水の教会」

ジュンポートアイランドビルに既に「風の教会」が!?

さて、実は「水の教会」よりも、さらにご本人に確認したくなるのが「六甲の教会」、別名「風の教会」です。
風の教会の壁にある大きな十字の開口部、これは実は「ジュンポートアイランドビル」の店舗部分の窓とほぼ同じデザインなんですよね。
「風の教会」の写真を掲載できませんので、こちらのサイトでご覧ください。
https://www.kazenokyoukai.com/https://www.kazenokyoukai.com/

そして、ジュン・ポートアイランドビルの写真がこちら。そう、この場所を壁全体に展開してあるのが、風の教会の壁なんですね。
(コンクリートの壁にある光のスリットですが、「風の教会」では、1本のみのようです。)

つまり、光のスリット、鉄の十字架、そして壁の大きな十字開口の三つすべてが、1985年竣工のジュン・ポートアイランドビルに既に取り入れられているのであり、「教会三部作のアイデアのルーツ」は「ジュン・ポートアイランドビル」のできた1985年頃にあったのではないか?

そんな感想が頭をよぎったりもしたのですが、がしかし、いろいろ安藤作品を見ていくと、結局、出世作の「住吉の長屋」で既にコンクリート打ち放し、スリットがあり、そこにないのは曲線、円形くらい。教会3部作のルーツは結局は、「住吉の長屋」から続く安藤建築の特徴そのものでしかない、ということが見えてきます。
そもそも、円形のドーム状の壁なんて、コンクリート打ち放し第1作目の富島邸(現在の安藤忠雄の事務所)の写真を見ると、建物の半分が円形ですし。

結局、安藤作品って基本形としてやってることはほぼ同じなのに、その応用による新たな組み合わせの造形のアイデアが巧みなんですね。

実は、この十字開口の大きな窓は「風の教会」以前も以後も度々、使われています。

光の教会のルーツはロンシャンの礼拝堂?

結局のところ安藤建築というのは、殆どの作品がその部分部分だけを切り取ってみると、どこも同じアイコン的な造形が何度も出てきます。
つまり、部分部分は敢えて言えばワンパターンです。

・コンクリート打ち放し
・幾何学的な造形の組み合わせ、特にシンプルな□と〇(直線と円弧)(☆とかはでてきません)
・コンクリート壁の広い開口部とすき間とブリッジ
・コンクリート板の壁(「自立する壁」とかと評する人もいます)
・光を取り入れる天窓や大きなガラス窓

そしてこれらを、その敷地に応じて変幻自在に組み合わせる方法論の途中で生み出されたのが、教会三部作でしょう。
つまり、「光の教会」のルーツは「安藤忠雄」という建築家の根源的な方法論、思想に帰結するのであり、それはもしかすると、安藤忠雄が若い時に旅をして大きな影響を受けたというル・コルビュジェのサヴォワ邸やロンシャンの礼拝堂の記憶にたどり着くのかもしれません。

安藤忠雄が大きな影響を受けたという、ル・コルビュジェの「ロンシャンの礼拝堂」

作品を通じて人間「コルビュジェ」に触れたこと

アートとしての建築を通じて社会とリンクする

書籍「安藤忠雄とその記憶(安藤忠雄著、講談社2013年初版)」の中の安藤忠雄自身の言葉で、コルビュジェに会いに行って、既に亡くなっていて会えなかったという逸話の部分で語られている一節をご紹介します。

「まずはポワッシーのサヴォワ邸(中略)、その時はまだル・コルビュジェの近代5原則のことも知らず、何が近代建築の革命であったかもよくわかっていなかったのだが…。

それでも心を動かされた。その次にロンシャンの礼拝堂へ行き、あらゆるところから光が入ってくる礼拝堂の姿、肉感的な光の空間を見て、これをサヴォワ邸をつくった建築家と同じ建築家がつくったのか?年とともに変化することはわかるが、こうも変わるものか…と疑問を覚えた」と述べています。

そして、「ルコルビュジェという建築家は最初も芸術から始まって、最後も芸術で終わる。その真ん中に社会とリンクする建築があったということだと思う。」と評しています。

さらに「やはり、いざという時に心に浮かぶのは、シベリア鉄道でいったヨーロッパの風景であり、一人歩き続けてたどりついたロンシャンの礼拝堂の光の空間である。この20代の数年間の世界放浪の経験が、今に至る私の建築活動の原点になっている。」と語っています。

この一節にある、若いころに衝撃を受けたル・コルビュジェの作品と、そしてその人間としてのコルビュジェが辿り着いた「ロンシャンの礼拝堂」の光の空間に実際に触れたこと、

つまり、「ロンシャンの礼拝堂」という単一の作品ではなく、「サヴォワ邸」から「ロンシャンの礼拝堂」に至る変遷の中の根底にあるもの、コルビュジェには会えなかったけれど、これらの残された作品に触れて、コルビュジェの人間とその思想に触れたことこそが、安藤作品のみならず、「火中の栗」でも拾うという「社会とのリンク」に積極的に取り組む行動の根底に流れる思想の「ルーツ」といえるのかもしれません。

つまり、アンチ安藤から批判されることも、「世界のANDO」として称賛されることも、どちらも建築というアートを通じて「社会とのリンク」を求めて戦い続ける一人の人間としての「安藤忠雄」だからこその結果なのだと思います。

安藤建築と同じく、直線と円弧が出てくるル・コルビュジェのサヴォワ邸

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